今日はさすがに、引きこもっていました。 11月ともなるとやはり、
寒さが違うと思います。特に私は "冷え性 "なので、こたえます。
自分でも結構な冷え性だと、自負(?)しています。寝る時には、既に
くつ下着用。足元ひえひえで寝られないため、必需品です^^;
母からは、「アンタ気持ちワルないの~」 と言われますが、脱げない
です。 ですが、私よりもウワテがおりました。
私の姪っ子ですが、体温調節がうまく出来ない体質なのか、
超寒がりなだけなのか、よく分かりませんが、普通のくつ下の上に
更に、モコモコくつ下着用、長めの腹巻着用、部屋は温室状態です。
病気ではありません。至って健康です。なので、ただの
"超×2 寒がり " だと思われます。
とにかく、それだけ京都の冬は、私からすれば半端なく、寒い
ということです。(;・∀・)寒~。
足のつま先からジンジン冷えてきますので、よそから京都に来られて、
今年初めて冬を迎える、という方は、くれぐれもお気を付けて 。
これから益々賑わうと思います。
京の台所として有名な錦市場が賑わうようになったのは?
「錦市場」のことを「にしきいちば」 と呼ぶと、観光客だとわかる。
地元では、単に「にしき」と呼ばれているからです。
賑やかな四条通から一本北に入った東西の通り、錦小路にこの
市場はあります。
東は寺町通から西は高倉通まで、約400メートルに、120軒ほどの
お店が並び、京野菜はもちろん、魚、乾物、漬物、お菓子、
台所道具までがそろいます。
午前中は料亭や旅館の仕入れ担当者、午後からは、主婦や
観光客が集まって、まさに「京都の台所」という名にふさわしい
賑わいを見せます。
この場所に市が立つようになったのは、室町時代の中頃のこと。
良質の水が湧き出たため、まず魚の市が立ち、鴨川はもちろん、
宇治川、桂川、さらに琵琶湖で獲れた魚が売られていました。
やがて、青物を商う人があらわれ、京都の中心に位置することも
あって、多くのお客で賑わうようになりました。
1700年代の江戸中期には、魚問屋だけで11軒も営業していたと
言われます。
さらに同じころ、大規模な野菜市場が開設され、錦市場は益々
発展することになったといわれます。
錦市場を生むきっかけになった "名水" を味わいたい人は、
高島屋裏手の錦天満宮に足を運んでみてください。
いまも、境内に「京の名水・錦の水」と呼ばれる名水が
湧き出ています。
参拝者は、この名水を自由に飲めますので、その味を楽しみ
ながら、はるか室町時代の魚市のにぎわいを思い浮かべること
が、できるのではないでしょうか。
京の台所、錦市場 のマップ
京都市内の通りの名(路地)を覚える
京都の手まり歌とも呼ばれます
♪ 丸竹夷
まるたけえびすに おしおいけ
あねさんろっかく たこにしき
しあやぶったか まつまんごじょう
せったちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう ひっちょうとおりすぎ
はっちょうこえれば とおじみち
くじょうおおじで とどめさす
(解説)
丸 竹 夷 二 押 御池
姉 三 六角 蛸 錦
四 綾 仏 高 松 万 五条
雪駄 ちゃらちゃら 魚の棚
六条 七条 とおりすぎ
八条 こえれば 東寺道
九条大路で とどめさす
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