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2012年11月15日木曜日

「まいど、おおきに~」

Hirokoです。

京都の街で買い物をすると「まいど、おおきに~」と言われた方も
おられると思います。 (私もよく使います)

これ、勿論「ありがとうございます」という意味ですが、ただ、場合によって、
「おおきに」は 「ありがとう」という意味とは限らないときもあります。


もともと「おおきに」は副詞で、「たいそう」や「たいへん」という意味です。
買い物をしたときに言われる「おおきに」は、あとにつづく「ありがとう」
が省略されています。

ですが、本来、副詞なので、「おおきに」のあとには、別の言葉が
省略されているかも知れないのです。


例えば、京都の女の子と合コンをして、話が盛り上がってきて、
女の子を誘ったとします。 

「今度二人で遊びに行きませんか?」と、言ったときに、
女の子から「おおきに~」という言葉が返ってきても、これは「OK」
という意味とは限りません。

もしかして、あとでガッカリすることになるかも知れない、という事です。
この「おおきに」のあとについてくる、省略されている言葉がくせもん
なんです。

「(私を誘ってくれて)おおきに~(ありがとう)」のあと、
「でも、行かれへん」が省略されている事もあるからです。 


京都人は、人の申し出をハッキリ断る人を、冷たい人とかキツイ人と
考えるとこありますので、断る言葉も省略してしまう、というか、
私は、寧ろハッキリお断りする方が失礼だと思っていました。

まァ 本当に行きたい時は、「おおきに~(ありがとう)、行く 行く」って
言います。という事です。
ホンマ、ややこしい話なんですが・・・ m(__)m


紅葉の観光シーズンで賑わっている京都ですが、「哲学の道」と
呼ばれるところがあります。何故、そう呼ばれるようになったのか。

哲学の道は、桜や紅葉が見事な散策路です。

清水幾太郎と西田幾多郎。同じ「幾多(太)郎 」と書いても、社会学者の
清水は「いくたろう」で、哲学者の西田は「きたろう」と読みます。

清水幾太郎は、戦後、社会主義色の強い平和論者として出発しながら、
60年安保の敗北を機に、改憲や核武装を唱えた社会学者。

一方、西田幾多郎は、戦前、西洋哲学がもてはやされるなか、
東洋的な基盤に立って東西の学問を融合させた日本の哲学の祖と
いわれる人物です。

当時、全国の学生は「京都大学に西田先生あり」と、わざわざ京大まで
聴講にかけつけ、聴講後は、現在、「哲学の道」と呼ばれる疏水沿いを
歩いたと言われます。

「哲学の道」は、北は銀閣寺から南は若王子に至る約1.5キロの
琵琶湖 疏水分流沿いの小径(こみち)で、近辺には、銀閣寺、法然院、
安楽寺、永観堂などの名所があり、春は約500本の桜のトンネル、秋は
紅葉が美しい散策路です。

この「哲学の道」という呼び名も、西田が思索にふけりながら歩いたことに
由来する といわれています。

当時、散策する西田のまわりを弟子たちが囲み、西田の言葉をひと言も
漏らさず、記録したというエピソードも残されています。

「哲学の道」という名の由来には、もう一つ説があります。

太平洋戦争に学徒出陣する京都大学の医学部生たちが、
ドイツ・ハイデルベルクにある 「哲学の道」から名づけたという説です。
ドイツの哲学の道も川岸にあるため、戦場へ赴く前の学生たちが、
それを真似て京都の小径も「哲学の道」と呼ぶようになったともいいます。

哲学の道の両脇には桜並木が植えられ、散歩には桜の時期が最高と
言われますが、満開に時期は短く、アッという間に桜の花びらが散って
いく。「哲学の道」と名づけた医学生たちも、ほとんどは戦地で桜の花の
ごとく散ったと言われています。


 

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