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2012年12月4日火曜日

内陸の京都で鯖寿司が名物になったわけ?

Hirokoです。

京都へ出張に来られて、サバ寿司を買って帰られる人が居ます。
新幹線の中で、ビール片手に、サバ寿司をほお張る人も。

サバ寿司が京都名物になったのは、江戸中期のことといわれます。

海から遠い京都でサバ寿司が名物になったのは、若狭湾の小浜港
から「ひと塩もん」のサバが届くようになったからだそうです。

小浜から京都までは、80キロメートルほど離れています。そこで、
小浜港に水揚げされたサバは、ひと塩ふられてから、「サバ街道」を
一路京都へと運ばれたのです。

ひと塩ふられたサバは、京都へ着くころには、ちょうどいい味加減に
なります。

これを利用して押し寿司にしたところ、たちまち京都名物に仲間入り
をするほどの評判を呼んだというわけです。

ちなみに、京都では生のサバを見せられて 、「塩サバ」と答える人が
多いのではないでしょうか。生のサバに塩を降ったものが「塩サバ」
ですが、京都では魚屋にもスーパーにも、塩サバのほうが数多く並ん
でいます。

サバは傷みやすい魚でもあるので、海から遠く離れた京都では
生サバを扱いにくいため、サバと聞くと、まず塩サバを思い浮かべて
しまうのではないでしょうか。
 



京都では祭りに鯖寿司は欠かせない。その昔、
鮮魚が手に入りにくかった京の人々にとって、
若狭からのひと塩ものの鯖は大変な御馳走であった。

鯖寿司はそうした時代の名残をとどめ、
今も京都の寿司の代表に変わりない御馳走である。









京都名物にしんそば人気をよんだわけ?

現在は、全国で食べられている「にしんそば」の発祥の地は、南座の
隣に店を構える「総本家にしんそば松葉」。

創業は江戸時代ですが、にしんそばが生まれたのは、明治の初め
のことだったそうです。

二代目の与三吉が、柔らかく煮た身欠ニシンをそばダネにすると、
たちまち京都中の評判を呼んだのであると。

以来、にしんそばをメニューに加えるそば屋が増え、にしんそばは
京都の名物となっていったそうです。

現在、材料のニシンは輸入物で大西洋で獲れ、アメリカやノルウェー
から輸入される「大西洋ニシン」中心となっているそうです。

以前は、カナダの西海岸産の「太平洋ニシン」が脂の乗りがよく、
上質とされてきましたが、水揚げ量が年々減り、かわりに大西洋ニシン
が増えているというわけです。

江戸時代から、身欠ニシンが京都へ大量に入ってきたのは、北海道
から北前船で運んでいたからです。
明治・大正・昭和と時代は進んでも、北海道ではニシン御殿が立ち並ぶ
ほど大漁がつづき、京都のそば屋は材料の調達に苦労はしなかったと。

ところが、昭和30年代に入ると、北海道のニシン漁獲量が激減。やがて、
日本近海ではほとんど獲れなくなりました。
そこで、京都のそば屋で使う身欠ニシンも、輸入物へ切り替えざるを
えなくなったのだということです。

もっとも最近は、日本近海で水揚げされるニシンの量が増えつつあると
いわれます。

魚の種類ごとの水揚げ量は、大きなサイクルを描くといわれ、漁業関係
者には、「いずれ、昭和20年代のように、ニシンを狙う海鳥で海が白く
染まる日がくるのではないか」と期待する人もいるということです。

やはり、日本のそばと合わせるなら、日本近海で獲れるニシンが最高。
いつの日か、昭和20年代まで食べられていたにしんそばの深い味わい
が、堪能できるかもしれません。



おそばを語る上で欠かせないものといえば年越しそば。
細く長く達者に暮らせることを願って大晦日に食べられる
おそばのことです。

冬の京都。
底冷えの中食べて頂くあたたかいおそばとだしの香りは
格別の味わいで、心と体に優しく沁み渡る様。

にしんそばの代名詞としてだけでなく年越しそばの定番
としても、広く親しまれております。






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