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2012年12月18日火曜日

勇壮な鞍馬の火祭りを満喫する秘訣 ?

Hirokoです。

京都の三大奇祭といわれる祭りの一つに、鞍馬の火祭りがあります。

勇壮な格好のお兄さんたちが、大きな松明を掲げて街道を歩き、由岐
神社の山門を目指します。

ドンドコ、ドンドコと鞍馬太鼓が打ち鳴らされ、「サイレイヤ、サイリョウ」
という掛け声が響く中、燃え盛る松明がひしめく様子は迫力満点といわ
れます。沿道で見物しているだけで、その熱気は十分に伝わってくると
思います。

毎年、10月22日の夜は、この祭り見物の人たちで、鞍馬地区はごった
返すそうです。

絶好の見物スポットを確保するためには、午前中には鞍馬へ行く必要
が、あるということです。
祭りの始まりは午後6時半ですが、遅くとも正午までには場所を確保し
なければならないというわけです。

というのも、鞍馬地区は京都の北山方面にあり、京阪電車の出町柳
から叡山電鉄で30分のところですが、この電車がわずか二両編成。

普段は利用客が少ないため、運べる人数が限られています。そこで、
祭りの日の午後になると、出町柳駅の改札口には長蛇の列ができて
しまうそうです。

また、目的の鞍馬駅にたどり着いても、午後には鞍馬街道はほぼ
見物の人で埋まってしまいます。

人の流れに沿って山門の方へ歩いても、目の前にあるのは人、人、
人の列。毎年、山門の近くでは、警察官が「もうこれ以上進めませ~ん」
と絶叫するのが恒例となっているのだそうです。

もちろん、山門から離れれば、午後からでも見物場所を確保できると
思いますが。

でも、松明(たいまつ)の集まる山門から遠い場所では、目にできる松明
は目前を通過するものだけ。

祭りのクライマックスである松明がひしめく様子は見られません。
また、山門近くに場所を確保しても、人の壁が三重、四重と重なっていて
は、やはり勇壮な雰囲気を味わうことはできません。

なお、ベストの見物スポットは、山門の石段の上。
午後9時頃には、その下に松明が集まり、一面が火の海になります。

火の粉が舞い、炎がゴーッと燃え上がり、大歓声に包まれて、石段の上
からなら、その全景をバッチリ見物できるのだそうです。

もっとも、このクライマックスを見ると、帰りは鞍馬駅で二時間近くの電車
待ちを覚悟、というオマケもついているとか。





掛け声勇壮 鞍馬の火祭


 
火の粉を散らしながら勇壮に担ぎ上げられる大松明(22日午後9時、京都市左京区・鞍馬寺山門前)

京都三大奇祭の一つ、鞍馬の火祭が22日夜、
京都市左京区鞍馬本町の由岐神社一帯で営まれた。

大松明(たいまつ)が秋の夜空に火の粉を舞い上げ、担ぎ手の
勇ましい掛け声が洛北の山里に響いた。
火祭は10世紀半ば由岐神社が京都御所から鞍馬へ移された際、
松明行列が進み、沿道にかがり火をたいた故事にちなむ。

日が暮れた午後6時ごろ、一帯の家の前にかがり火がともり子ども
たちや若者が大小の松明を掲げて街道を練り歩いた。

松明は午後8時すぎから続々と鞍馬寺の山門前に集まり、約30本が
そろうと祭りは最高潮に達した。「サイレイヤ、サイリョウ」の掛け声が
ひときわ大きくなり、沿道をびっしりと埋めた市民や観光客は炎と担ぎ手
の熱気に酔いしれた。




 

観覧マップ


2012年12月16日日曜日

京都の街でもクリスマスで賑わっています ?

Hirokoです。

子どもたちが、まだ小さい頃は下京区五条大宮に住んでいました。
休日には、家族で京都府立植物園へ、よく遊びに連れて行きました。

主人は仕事がら、平日がお休みでしたので、人は少なく、ゆっくりと
広~い植物園内を散策でき、ほぼ一日、過ごしていました。

その京都府立植物園では、クリスマスイルミネーションで綺麗です。
期間:12月15日~24日まで、
時間:17:30~20:00(入園は19:30まで)

正門では、花壇に光のカーペットやハリモミにLEDが施されるそうです。

北山門広場では、LEDで飾り付けられた高さ20メートルのトウカエデの
木が出迎え、観覧温室では、ポインセチアの鮮やかな彩りを満喫できる
そうです。

入園料は一般200円、高校生150円、小・中学生80円
※夜間は温室入園無料



京都府立植物園




























久しぶりに行ってみたい ! と思いますが、
さすが、一人では・・・^^;
















京都駅ビル

期 間:11月1日~12月25日(クリスマスツリー以外は2月28日まで)
 
時 間:17:00~23:00(ツリーは10:00~、空中径路は~22:00)
 
 
 
 
 
 
 
 
 








京セラ本社

 期 間:12月13日~31日
(巨大クリスマスツリーのみ12月15日~25日まで)

 時 間:17:00頃~22:00頃(12月31日のみ21:00頃まで)


幻想的な世界を演出しています。使用する総電球数は約20万個で、
電球全てに省電力のLEDを採用。

12月15日~25日には、同社ビルの東西壁面に、室内照明を活かして
もみの木をかたどった巨大なクリスマスツリーが登場するそうです。

























京セラ本社は伏見区竹田にあります。





イルミネーションは見てみたい。と思いますし、綺麗なものは "大好き"
です。が、超×2 寒がりの私です。 なので、「夜、さむ~」 と たぶん、
いえ、きっと行きません。(オバサンです・・・)


2012年12月14日金曜日

新春の京都で「おかいさん」が欠かせないわけって ?

Hirokoです。

京都の人は(もちろん私も含めてですが)、言葉に "さん" をつける人
多いと思います。
お正月に食べる、お粥のことも「おかいさん」といいます。これ、普通と
思っていました。^^;

とりわけ、お正月のおかいさんは、邪気を払い、万病を除くとされ、
京都人には欠かせない一品です。

正月七日に、春の七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、
すずな、すずしろ)を使った七草粥を食べて無病息災を祈る風習も、
京都ではじまったといわれます。

その昔、宮中では、正月の初子(正月最初の子のこと)に野遊びをして
若菜を摘み、七種の新菜を吸い物にして天皇に献上したそうです。

ここから、正月に若菜をとれば、健康に一年を過ごせるという俗信が
生まれ、七草粥の風習のルーツになったというわけです。

現在でも、正月七日になると、春日神社、八坂神社、北野天満宮、
貴船神社など、京都の随所で「若菜祭」がおこなわれています。

このへんからも、おかいさんと京都文化の結びつきがうかがえると、
思います。

このほか、京都人にとっては、一月十五日の小正月に食べる「あずの
おかいさん」もおなじみのもの。

「あずのおかいさん」は、やわらかく煮た小豆を、お餅と一緒に白粥の
中に入れた小豆粥のことです。

小豆には角がないことから、古来、縁起のいい料理と考えられてきま
した。

平安時代に書かれた『土佐日記』 にも、「十五日。今日、小豆粥煮ず、
口惜し」となどと記されています。

そのようなわけで、この縁起のいい小豆粥をお供えして、無病息災を
祈願する催しが、京都の各地で開かれています。

北野天満宮、上賀茂神社、下鴨神社のお粥祭のほか、妙心寺の

東林院では、小豆粥を境内の木々に供える散飯式がおこなわれます。

また、八坂神社では、一月十四日に、桃の枝でつくった粥枝のお守り
が参拝客に授けられます。

家庭でつくる小豆粥をこの枝でかき回し、翌十五日に神前に供えると、
一年を過ごせるといわれているとか。

このように、新春の京都では、「おかいさん」の湯気がゆらゆらと、
あちこちで立ち上がる、というわけです。




小豆粥 -禅寺に伝わる精進料理-


 


東林院では「小豆粥散飯式」が行われます。
これは1年の邪気を祓うもので、読経のなか小豆粥を少量とりわけ境内の
木々にお供えします。
参加者には梅湯茶札、小豆粥、精進料理、無病息災・家内安全の 御守り
(大般若札)が授与され希望者には千両の庭で取れた千両の種がお年玉と
していただけるそうです。
限定) 

場所:妙心寺東林院(右京区花 園)
期間:1/15〜/31(※毎年同じ日程です) 予約不要
時間:11〜15時
料金:3700円(梅湯茶礼、小豆粥の精進料理他)
アクセス:JR嵯峨野線「花園」駅、または京福電車北野線
「妙心寺」駅






上賀茂神社の御粥神事

 野菜果物とともに小豆粥を神前に供え
国家国民の安泰を祈願します。
中門から見せて頂けます。

場所:上賀茂神社(北区上賀茂)
日時:1/15(※毎年同じ日程です)、10時〜
アクセス:地下鉄「北大路」駅より 市バス北3
「御薗口町」







下鴨神社の御粥祭

小豆粥、大豆粥を神前に供え国家国民の安泰を
祈願。
11時頃からお粥が参拝者に接待(有料)されます。
どうぞお早めに。

場所:下鴨神社(左京区下鴨)
日時:1/15(※毎年同じ日程です)、10時〜
アクセス:市バス4、205「下鴨神社前」駅







七草粥 -体をいたわる生活の知恵-

七草粥
もともと宮中では正月初子の日、天皇の食事をつくる
「内膳司」がその年の七種の新菜をお吸い物として
献上していました。この若菜が万病を防ぐとされてお り、
その後正月七日の七草粥の風習になったとされます。

年末年始の暴飲暴食を
いたわり、不足しているビタミンを補うことができる鎌倉時代
からの生活の知恵 なのです。 

  










御香宮神社の七草 粥の振る舞い
江戸時代より、七草を神前に供え”七草神事“を行ってきた当神社には、
毎年、無病息災を願って多くの人々が行列を作ります。

場所:御香宮神社
日時:1/7(※毎年同じ日程です)
アクセス:近鉄京都線「桃山御陵前」駅





 西院・春日神社の若菜節句祭
春の七草をお供えし、参拝者にも七草粥がふるまわれます。
また、この日に白馬を見ると健康に暮らせるという言い伝えにより、
「白馬(あおうま)飾り」が公開されます。風邪、中風除けの勝栗守りが
授与されます。

場所:春日神社
日時:1/7(※毎年同じ日程です)
アクセス:市バス205「西大路四条」


2012年12月12日水曜日

なぜ蛸薬師(たこやくし)はお寺の名前に「蛸」がつく ?

Hirokoです。

京都の中心に「蛸薬師通」という道路があります。
東は高瀬川にかかる蛸薬師橋から、西は西大路通を越え、佐井西通まで
という、かなり長い通りです。

きょうとの街を散歩中、この蛸薬師通を見つけ、「蛸薬師って、面白い名前。
どんなお寺か、行ってみたい」と思う観光客は少なくないと思います。

でも、蛸薬師通は長い通りなので、地図も見ずに歩くと、迷ってしまうかも
しれません。

じつは、「蛸薬師」というのは通称で、お寺の正式名は「妙心寺」。
四条河原町の近く、新京極にあるお寺です。

四条通から新京極通を北に向かう右手、門前にたくさんの提灯が並んで
いますので、すぐにわかると思います。

ただ、同じ名前のお寺が花園にあることも、観光客が迷う原因になって
いるようです。

妙心寺が「蛸薬師」と呼ばれるようになった理由をめぐっては、次のような
逸話が残されています。

後深草天皇の時代(1246~59年)、善光というお坊さんが、病気の母親が
食べたいといったので、戒律を破ってタコを買った。それを人々にとがめ
られて、あやうくタコを取り上げられそうになったのだが、そこで本尊に祈った
ところ、タコの八本足が八巻の大乗経典にかわった。以来、霊験あらたかな
「蛸薬師」さんとして、お参りする人が増えた。
と伝えられているというわけです。

もともと、この妙心寺は、室町二条下ルにあったお寺で、その周辺には今も
「蛸薬師町」という町名が残っています。

現在の新京極には、豊臣秀吉の命令で移ったといわれ、その際「四条坊門
小路」と呼ばれていた通りの名も、「蛸薬師通」にかえられたそうです。

ちなみに、蛸薬師のご本尊は、もちろん薬師如来。
伝教大師の作と伝えられる石造仏です。



蛸薬師通

平安京の四条坊門小路にあたり、東は河原町通りから西は佐井西通西入ル
に至る全長約3.5kmの通りです。
四条坊門小路が蛸薬師通に変わったのは、天正十 九年(1591)に、
豊臣秀吉の都市改造に際して、永福寺(蛸薬師堂)が妙心寺に合併され
現在地に移転されたためという説があります。




室町通にある永楽屋室町店(えいらくや)です。

四条河原町に本店を持ち、佃煮・和菓子を中心
に漬物や珍味なども取り扱うお店です。

店舗前には駐車場もあり、ゆっくりとお買い物を
して頂けます。










鳥丸通蛸薬師にある北国銀行
(きゅうやまぐちぎんこう)です。

辰野金吾の設計で大正5年に完成しました。
もともと山口銀行の京都支店でしたが、その後
大阪財界人から望まれ、三十四銀行・鴻池銀行
との合併で三和(現UFJ)銀行となりました。
現在は北陸地方を本拠とする、北国銀行の
京都支店となっています。







蛸薬師通油小路西にある空也堂(くうやどう)です。

空也堂は空也を本尊とするため空也堂と呼ばれていますが、
正しくは紫雲山極楽院光勝寺(しうんざんごくらくいんこうしょうじ)
といい、天慶元年(938年)に空也が開創したと伝えられています。
元々の空也堂は応仁の乱で焼亡し、寛永年間に現在地に移った
といわれています。






 蛸薬師堂(永福寺)(たこやくしどう(えいふくじ))

蛸薬師通新京極にある蛸薬師堂(たこやくしどう)です。

蛸薬師堂は正しくは瑠璃光山林秀院永福寺といい、
元は二条室町(現在の蛸薬師町か)にあったものが天正年間に
現在の場所に移転されました。
蛸薬師堂永福寺は、昔より寺内に一歩踏み入れただけでも、
蛸薬師如来さまのご加護があると言われている霊験あらたかな
お寺です。



































新町通蛸薬師下るにある茶屋四郎次郎邸跡
(ちゃやしろうじろうていあと)です。

茶屋家は安土桃山~江戸期の京都の豪商で、当主は代々
四郎次郎を名乗っていました。
三河国の出身で徳川家とのつながりが深いそうです。
初代四郎次郎清延は、京都における徳川家康の用達を務めて
いました。






河原町蛸薬師東にある、土佐稲荷(とさいなり みさきじんじゃ)です。

土佐稲荷(岬神社)は江戸時代は土佐藩邸内にあったが、
明治維新で屋敷が売却されたため、明治20(1887)年に現在地
に移されました。
当時から土佐藩士だけではなく近隣の人々からも信仰の厚かった
ようです。神社内には龍馬の像が残っています。







木屋町通にある土佐藩邸跡(とさはんていあと)です。

土佐藩邸があったのは現在の旧立誠小学校一帯です。
龍馬をはじめ、多くの土佐藩士達も土佐藩邸に出入りしていました。
坂本龍馬は、役人ばかりが滞在している京都の土佐藩邸をあまり
好まなかったと言われています。







蛸薬師通室町東入るにある橋弁慶山(はしべんけいやま)です。

橋弁慶山は、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわして
います。弁慶は鎧姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干の
ぎぼしの上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っています。
橋は黒漆塗で牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えています。








油小路通蛸薬師にある本能寺跡(ほんのうじあと)です。

本能寺は織田信長が明智光秀の襲撃により非業の最期を
遂げた場所です。本能寺の変の際に全焼した本能寺は、
すぐに再建にかかりましたが、現在寺町にある本能寺は秀吉に
よって場所移されたものです。
その後本能小学校がこの地にありましたが、近年閉鎖・取り壊し
となり現在は福祉施設となっています。
 

2012年12月11日火曜日

初詣で人気 ! 伏見稲荷大社の変わった名物 ?

Hirokoです。

初詣の数で、毎年全国ベスト10に入る伏見の稲荷大社。全国に
約4万あるという稲荷大社の総本社です。

和銅四年(711年)に創建され、五穀豊穣、商売繁盛にご利益がある
とされています。

境内にある稲荷山には、四キロも続く朱塗りの千本鳥居があり、鳥居
のトンネルをくぐって山をめぐる巡拝が有名です。

初詣客は、大晦日の午後10時ごろから増え始め、三が日で250万人
にも達するといわれています。

参拝客の多くは地元京都の人たちで、お参りのあとの楽しみは参道
の名物を味わうこと。なかでも、スズメの焼き鳥は、お稲荷さんの
名物として、古くから人気を集めてきたそうです。

ふつう焼き鳥といえば、鶏の肉が使われますが、ここではスズメの
姿焼きが売られています。

なぜ、スズメなのかと言いますと、稲荷大社の御利益「五穀豊穣」と
関係していて、稲を荒らすスズメを退治するという意味で、江戸時代
の中頃から、焼き鳥にスズメがつかわれるようになったと伝えられて
います。

参道には、稲荷寿司にキツネのセンベイはもちろん、タコ焼きや、
綿菓子、タイ焼き、おでん、うどん、フランクフルトなどの屋台も並ん
でいますが、伏見のお稲荷さんではスズメの焼き鳥を食べると決め
ている人も少なくありません。
(ちなみに私は、(;´Д`A ですが・・・^^;)






稲荷山歳時記はこちら>>




◆ 願   意 ◆


商売繁昌 当社の御祭神である宇迦之御魂大神は、保食神とも称し、繁栄のご神徳があります。商売と事業の繁昌、事業所と従業員の皆様の安全を祈願します。

家内安全 ご家族の安泰と健康、尊家の益々の隆昌を祈願します。

交通安全 当社の御祭神である佐田彦大神は、別名猿田彦大神とも称し、交通安全、道中安全の神として有名です。ご神前で自らの心に安全運転を誓い又、自動車を購入した時などに道中安全を祈り誓う祈願です。車のお祓いも受付します。(但し、1日、日祝日は除く)

厄  除 厄年とは人生の節目、転換期として、古来より慎み忌む年とされています。特に数え年で男性の42才、女性の33才は大厄としており、その前後の年は「前厄」「後厄」とされています。
稲荷大神様のご神前で、この年をつつがなく過ごすことの出来るようお祈りいたします。特製厄除弓箭を授与いたします。

厄 年 表
25才 19才
41才 32才
42才 33才
43才 34才
61才 61才
安  産 お授かりになったお子様が月満ち足りて、無事ご出産なさいますようお祈りいたします。
「安産祈祷」の神札とお祓いした腹帯を授与いたします。
初  宮 お生まれになったお子様の健やかな成長と幸福をお祈りいたします。(男子30日目・女子31日目)

入試合格 高校、大学などの志望校への合格はもとより、国家試験などの資格試験合格をお祈りいたします。
「合格祈願」の神札を授与いたします。

病気平癒 お体が一日も早く回復しますようお祈りいたします。
「平癒祈願」の神札を授与いたします









▼名称をクリックすると詳細をご覧いただけます▼


■稲荷山

■楼門
■本殿
■参集殿
■御茶屋
■講務本庁
■千本鳥居
■奥社奉拝所
■熊鷹社
■一ノ峯
■二ノ峯
■間ノ峯
■三ノ峯
■御劔社
■御膳谷奉拝所
■清瀧
■荒神峯
■御幸奉拝所







また、

伏見稲荷大社の周辺にはさまざまな神社・仏閣・史跡があります。
観光、散策の際はどうぞお訪ねください。




▼各ポイントをクリックすると解説を表示します▼

東福寺田中神社俊成、明兆墓地阿保親王塚極楽寺裏参道商店街玉家東丸神社ランプ小屋ぬりこべ地蔵石峰寺宝塔寺七面山瑞光寺真宗院浄蓮華院

1. 東福寺
2. 田中神社
3. 俊成、明兆墓地
4. 阿保親王塚
5. 極楽寺
6. 裏参道商店街
7. 玉家
8. 東丸神社
9. ランプ小屋
10. ぬりこべ地蔵
11. 石峰寺
12. 宝塔寺
13. 七面山
14. 瑞光寺
15. 真宗院
16. 浄蓮華院



 

お問い合わせ先 

〒612-0882 京都市伏見区深草薮之内町68番地
 伏見稲荷大社社務所 TEL 075-641-7331 

 (午前8時30分より午後4時まで)



2012年12月10日月曜日

紅葉で名高い東福寺が誇るお宝 ?

Hirokoです。

今日の京都は晴れ。風は相変わらず(?)冷たいですが、天気いいので
気持ちいいです^^。


紅葉の名所としても知られる東福寺。
東福寺へ足を運ぶと、国宝の巨大な三門を入って、すぐ左側に白壁の
建っています。

「東福寺東司(とうふくじとうす)」と呼ばれていますが、この建物が一体
何をするところか、すぐにわかる人は少ないでしょう。

「東司」とは、禅宗の言葉でトイレのこと。
なのですが、東福寺のトイレは、そんじょそこらのトイレではありません。

室町時代の建築では、現存する唯一のトイレで、国の重要文化財に
指定されているのです。

このトイレは、長さが353メートルもある切妻造の本瓦葺き。内部は中央
に通路があって、その左右に便所が並び、床に壺が埋め込まれています。

さすがに、今は使われていませんが、明治時代までは実際に使用されて
いたそうです。

利用するには、次のような厳しい作法を守らなければならなかったと言わ
れます。

まず、トイレは僧堂、浴室と並ぶ「三黙道場」の一つとされ、談笑は禁止。
黙って用を足すのも、禅の修行とされていました。

また、脱衣した袈裟や直綴(じきとつ)は竹の棒にかけて、厠(かわや)の
守護神である不浄金剛に礼拝。そのあと、呪文を唱えながら、左手で用を
足すのが決まりだったそうです。

この東福寺が建てられたのは、鎌倉時代。
もともと、藤原氏所有の土地に、一族の九条道家が新しいお寺を建て、
その時、奈良の東大寺と興福寺から一字ずつをもらい、「東福寺」と
名づけられたというわけです。

室町時代になると、金閣寺を建てた足利義満の庇護を受けて発展。
重要文化財の「東司」は、このころ建てられました。

応仁の乱では、中心伽藍を除いて、ほぼ焼失。
明治18年の火災では、中心伽藍の半分(法堂・仏殿・庫裏など)も焼け
てしまったそうです。

ところが、東司だけはいずれの大火災でも焼け残ってきたそうです。

ちなみに、浴室も、室町時代のもので、国の重要文化財に指定されて
います。風呂といっても、湯船はなく、中央の板敷を洗い場とする蒸し
風呂であるということです。




東福寺

東福寺(とうふくじ)は、
京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派大本山の寺院。

山号を慧日山(えにちさん)と号する。本尊は釈迦如来、開基(創立 者)は、
九条道家、開山(初代住職)は円爾である。京都五山の第四位の禅寺とし
て中世、近世を通じて栄えた。明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとは
いえ、 今なお25か寺の塔頭(たっちゅう、山内寺院)を有する大寺院である。










 

【正式名称】 東福寺 東司

 




内容概要


東福寺にある室町時代建築の重要文化財建造物。禅堂内で修行する
僧が使用する便所。
室町時代の建築で、禅宗寺院便所の古い形式を伝えている。百雪隠と
言われている。常時非公開
現存最古最大のもの。桁行7間、梁間4間、一重、切妻造本瓦葺。






【正式名称】 東福寺 浴室(とうふくじ よくしつ)



 
内容概要
東福寺にある室町時代建築の重要文化財建造物。京都最古の浴室建築。
土間の奥の左右に腰掛を設け、中央の板敷を洗い場にした蒸し風呂。
常時非公開
桁行3間、梁間4間、一重、正面入母屋、背面切妻造、本瓦葺。



 
 
 
【正式名称】 東福寺 禅堂(とうふくじ ぜんどう)




内容概要

東福寺にある南北朝時代建築の重要文化財建造物。東司の北にある。選仏場、
僧堂ともいい、参禅の道場としては、現存する最古最大の 建物である。なお、
禅堂は月1回早朝座禅会をしております。三大門(北、中、南門にて掲示しております)
又20~30人で申込により座禅指導しています。 (要予約)

毎月1回 日曜法話で利用
(開催日についてはホームページをご覧下さい、予約不要)




 
 
【正式名称】 東福寺 木造二天王立像
        (とうふくじ もくぞうにてんのうりゅうぞう)



内容概要

東福寺にある鎌倉時代作の重要文化財彫刻。腕を振りあげた忿怒の表情の
阿(あ)形像と吽(うん)形像。もとは三門に置かれていた。写真は阿形像。
常時非公開




2012年12月9日日曜日

京都の本願寺はなぜ東と西に二つあるの ?

Hirokoです。

今日は、お天気は良いのですが風が冷たいです。やはり京都の
"冬" は堪えます。(まだまだ、これから冬本番なんですが^^;)

私は、まだ子どもが幼い頃、下京区五条大宮に住んでいましたが、
子どもとの "お散歩コース" で、西本願寺へはよく行きました。

「ポッポさん見にいこか~」なんて言いながら、娘をベビーカーに
乗せ、西本願寺まで行きましたが、懐かしい良き思い出です。


西本願寺には「西と東」、二つありますが、最近は区別が付かない
人が増えている、とも聞きます。

実際 私も、東本願寺への行き方を尋ねられても、ちょっと自信が
ありませんが、反対に西本願寺への行き方は大丈夫です。(*´∀`*)

西本願寺への行き方をたずねられているのに、東本願寺の方を
教えてしまう人もおられるとか聞きますので、ややこしいと思います。

京都駅の北口に立つと、京都タワーの裏手にあるのが「東本願寺」。
そこから西へ2~3分歩いたところに、「西本願寺」があります。

二つの本願寺のうち、先に建てられたのは西本願寺で、現在でも
単に「本願寺」といえば、通称「お西さん」、西本願寺を指します。

もともと、本願寺が建てられたのは、鎌倉時代のこと。
親鸞聖人の没後、娘の覚信尼が、現在の知恩院あたりに廟を建て、
木像を安置して御影堂としました。

ところが、勢力を増すにつれて、他の寺院の反発が強まり、また
織田信長と敵対関係になって、各地を転々とする羽目になります。

結局、天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進によって、現在の
西本願寺のある場所に落ち着いたということです。

なのですが、その後、天下統一した徳川家康は、秀吉が保護した
本願寺が、再び勢力を拡大することを恐れました。

そこで信徒を二分して勢力を弱めようと、本願寺の後継争いを利用
して東西に分け、本願寺の東側に土地を与え、東本願寺を建てさせ
たのです。

西本願寺は、親鸞聖人を宗祖とする兄弟宗派のため、経典は勿論、
重要な法要儀式やその作法、鳩の飛ぶ境内の雰囲気までそっくり
です。

でも、親鸞聖人像の安置されたお堂を、西では昔のまま「御影堂」と
呼んでいるのに、東では「大師堂」と呼びます。

また、お堂を支える柱の断面も、西は真四角、東は円柱と細かな
ところでは、違いがあります。

さらに、幕末には、西が薩摩、長州などの勤皇派を支持し、東は
徳川家を守るという立場をとったというわけです。




東本願寺


烏丸通前の御影堂門

 

  

 

 


東本願寺は1602年に西本願寺から分派して
建立されました。

 

 

 

 

 

 

 



東本願寺境内案内図





阿弥陀堂御修復工事のため、
御本尊は御影堂内の仮阿弥陀堂にて御安置しています。
なお、現在阿弥陀堂は閉鎖しています。(2016年春頃まで)






開門・閉門時間



 ~アクセス~
 

JR京都駅から徒歩7分、五条駅から徒歩5分、 
京都駅市バス『烏丸七条』より徒歩1分。







 西本願寺



東本願寺から徒歩で15分くらい。
向かう道中も西本願寺の建物が見えます。




        西本願寺から見て、堀川通を挟んだ向かいにある総門





















           
          
         西本願寺には華やかな桃山文化を伝える
         建築物が多くあります。






重要文化財 阿弥陀堂(本堂)


中央に阿弥陀如来の木像、
左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師と
聖徳太子の影像が安置されています。








渡り廊下

御影堂から龍虎殿へと続いています。





     渡り廊下の先の龍虎殿へ行けます。









 重要文化財 御影堂

親鸞聖人の木像が安置してある。
重要な行事はここで行われます。







                   



















敷地内の御影堂門と阿弥陀堂門の間に
休憩できるお茶所があります。


















国宝 雀の間



  
対面所の西にある雀の間には、竹林の中を
活き活きと飛び回る雀が描かれていますが、
88羽描かれたとされているのに実際は86羽。

あまりにも活きが良すぎて2羽抜け出したのでしょうか?
別名「抜け雀の間」と呼ばれています。







 雀の間襖絵に描かれた雀










 西本願寺
京都市下京区堀川通花屋町下ル
TEL:075-371-5181
OPEN
5:30-17:00(11~2月) 5:30-17:30(3,4,9,10月) 5:30-18:00(5~8月)



アクセス

JR京都駅から徒歩15分
京都駅市バス『京都駅前』より9番,28番,75番(西賀茂車庫行など)に
乗車、『西本願寺前』で下車。